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『 微熱のころ ~星空のベッド~ 』
イギリスから日本に帰ってきて、一番最初に遊ぶようになったのは、向かいの家の兄弟だった。
兄の方は本が好きで、負けず嫌いの努力家、向かいの家のどんな老舗料亭かという門構えの和風建築に似つかわしくない、柔らかな茶色い髪に、光を反射させるとべっこう飴みたいな色に見える瞳をした、あまり純和風とは言い難い雰囲気の少年で、弟の方はこれがまたつやつやとした真っ黒な髪と真っ黒な瞳、無口で大人しく、いつも兄の後ろをくっついてまわる可愛らしい少年だったのだ。
家から近い場所にある私立学校の初等部に編入手続きが終わり、学校に通うようになると、ますます兄の弘樹と行動を共にする事が多くなった。学校の行き帰り、休憩時間・・・ハキハキとした元気な子供だったから、俺と一緒に行動しなくても、いくらでも友達はいただろうと思うのに、弘樹は誰より俺を優先してくれ、俺も弘樹と一緒に居る事を望んだ。
学校から帰れば、今度はそれに弟も加わる。
一緒に遊ぶ、と言っても俺達3人での遊びは走り回ったり、木に登ったりといったアクティブな遊びではなく、庭の芝生にごろごろしながら本を読んだり、空想話に浸ったり・・・といったもので、小さな子には退屈だったのだろう、俺と弘樹より4歳幼かった野分は、度々眠くなっては、芝生の上に仰向けに寝そべったまますやすやと寝息をたてていた。
その日も、理科の時間に学んだ夏の星空を星座早見盤を使って観察する、という宿題の為に、俺の家の屋根裏部屋に布団を敷いてもらい、一晩そこに泊まる事になっていて、夕食と風呂を済ませた後、早々に敷布団の上に3人並んで横になったが、10分もしないうちに野分だけ眠ってしまった。
「何だ、こいつ。どうしても一緒に星見るって聞かないから連れてきてやったのに、あっという間に寝やがって。」
「仕方ないさ、まだ小さいんだ・・・暗い部屋で横になってたら眠くなるに決まってる。」
先に眠ってしまった野分は、弘樹のパジャマの裾をしっかりと握っていて、弘樹はそれに構わず一生懸命に星座早見盤を空にかざして見ている。
「・・・弘樹は眠くないのか?」
「別に。いつも結構遅くまで本読んでて起きてるから。」
「成長ホルモンの分泌は夜8時くらいから急激に増加するんだ。夜更かししていたら背が伸びないぞ。」
「う・・・っ・・・うるさいなっ!訳わかんない難しい事言うな!・・・お前な、星座観察、宿題なんだから秋彦もさぼってないでちゃんとやれよ。まだ全然シール貼ってないじゃないか。」
「こんなもの、本見てやれば簡単なんだ。それに東京じゃ明る過ぎて大して星なんか見えない。」
そう言うと、横から弘樹の足が伸びてきて軽く膝のあたりを蹴られた。こいつは可愛い顔をして、その見た目を裏切る乱暴ものなのだ。
斜めになった天井に大きくとられた開閉式の天窓は、今夜だけ大きく開かれていて、布団の上に仰向いていると一瞬星空に自分が浮かんでいるような錯覚をおこしそうになる。
イギリスに居る時には、何かしら母親の気にさわるような事をした時にだけ、罰として閉じ込められるのが必ず屋根裏部屋だったから、埃っぽくて天井が低くて狭いこの部屋が大嫌いだったけれど、3人で過ごす今夜はまるで秘密基地みたいで、どうしようもなくわくわくさせられた。
「秋彦、ここさ・・・俺達部隊の秘密基地のひとつにしないか?」
思っていた事をふと隣から言われて、嬉しさに俺は大きく頷く。
その瞬間、横向きに眠っていた野分がころりとうつぶせになり、「ヒロちゃん・・・・。」と小声で呟いた。
「野分がお前の夢を見てるみたいだぞ。」
「・・・こいつは、寝てても起きてても、こればっかりだ。」
弘樹はそう言いながら野分の真っ黒な髪の毛を、優しく撫でた。
向かいの家の兄弟は本当の兄弟じゃないんだって俺は最近知った。家の屋敷に来るメイド達がしている噂話で聞いたのだ。
下の弟は天涯孤独で、施設から上條の家にもらわれてきたのだという。すでに子供が居る家なのに、変わっている・・・というのが俺が耳にした話だった。
俺にも半分だけ血の繋がった兄がいる。今は全寮制の私立学校に在学していて家には居ないが、居たからといって弘樹達のようにはなれないだろう。
二人が羨ましかった。
血の繋がりなど無くても、信頼し合い寄り添っていられる二人。
「・・・あ、弘樹、流れ星。」
「え?うそうそ・・・俺見えなかった・・・・。」
悔しそうな顔で俺の頭に自分の頭を寄せてくる弘樹とくっつきあって夜空を見上げながら、もう一度、星よ流れろと心で念じる。
いつまでもこの3人で一緒に居られますように。
ずっと変わらず友達でいてもらえますように。
いつか野分が大きくなって、弘樹が本当の兄じゃないと知っても、優しい兄さんの事を変わらず好きでいてくれますように。
俺の願いは多すぎて、星が流れるのを待っているうちに朝になってしまうかもしれない、とふと思った。
◇ おわり ◇
『 夢の途中 ~誓い~ 』
都内に住んでいる時にも度々あった事だが、アメリカで暮らすようになってからも、変わらずヒロさんのお母さんから宅配便が届けられる。中身はその都度違っていて、季節を感じられる食べ物だったり、旅行のお土産だったり、ちょっとした衣類だったり・・・と、まるで福袋気分だ。
「何だ、また何か送って来たのか!」
荷物のラベルを見ただけで、ヒロさんが大げさにため息をつく。
こんな風にいつも迷惑そうに言うけれど、本当はヒロさんだって嬉しいと思っているんだって、俺はちゃんと知っている。
「お母さん、京都に旅行に行かれたそうですよ。旅行先からわざわざ送って下さったみたいです。」
「中身何だよ・・・。」
段ボールの中には結構大きめの四角い箱が二つ。そのひとつをパカンと開くと、中には色とりどりなあられやおかきがびっしりと詰まっていた。
「えーっと、お菓子です。色んな種類のあられがいっぱい・・・。」
「あられなんか、こっちの日本食スーパーでも売ってるってーの。高い国際便使ってんなもん送って来るなよな・・・。」
呆れ顔のヒロさんは俺の手の上から小さなあられをひとつ摘みあげ、かりりと齧った。その様子に嬉しくなって、俺も違う種類のものをひとつ齧る。
大事なひとり息子を男の嫁にやってしまったばかりか、俺の転勤で海外にまで連れ出されてしまって、上條の両親には本当に申し訳ない事をしたな、と思う。本当なら責められて当然なのに、電話があればヒロさんだけでなく俺の健康まで気遣ってくれるし、毎回送ってきてくれる荷物の中身は何でも必ず二人に宛てての物なのだ。そんなお母さんなりの心遣いが嬉しくて、俺はそういう意味でもヒロさんと一緒になれて良かったな・・・と思う。
長年一緒に暮らしていながらも、実は付き合っているのだとはなかなか言い出せずにいた俺達に、話すきっかけを与えてくれたのは実はお母さんだった。
ご両親の結婚記念日のお祝いの食事会に俺とヒロさんも招待され、普段なかなか行けないような日本料理のお店で食事をした。その席で、お母さんが唐突に言い出したのだ・・・・。
「そういえば、ヒロちゃん達は記念日のお祝いとかしないの?」
「は?何の祝いだ?」
「そういう事ちゃんとしてないとダメよ。いくらでもあるでしょ、出会ってから何年目とか、一緒に暮らすようになって何年目、とか。」
「・・・・ヤロー同士でそんな事祝う奴なんか聞いた事ねぇよ。」
「そんなの関係ないでしょ。男とか、女とか。これだけ長く一緒に暮らしていたら事実婚になるんだから。」
お母さんのその一言に、ヒロさんは手に持っていた吸い物のフタを盛大に落とし、俺は箸を持ったまま凍りつき、お父さんは困った顔でため息をひとつついた。
「・・・今、何て・・・・・・・?」
「え?だってそうなんでしょう?ヒロちゃんと野分君って・・・。」
ここが個室、しかも離れの部屋で良かったな、と思う。お母さんの問題発言にヒロさんは可哀想なくらいに一気に青ざめ、その横顔は明らかに動揺していた。
「それをいつから知って・・・・・?」
「いつからって・・・一緒に暮らすって聞いた時から、そうなんだろうなって思ってたわよ。ヒロちゃんが男の人を好きなのは昔から分かってたし、実際に野分君に会ってみたら、なるほどいい男だわって感心したのよ。」
「感心って・・・・。」
「だって私、ヒロちゃんは秋彦君と結婚するんだって思ってたもの。子供の頃からずっと一緒だったし。それにしても我が息子ながらヒロちゃんはとんでもないメンクイね。」
「・・・・・・。」
唖然としているヒロさんと、平然と食事を続けるお母さん。そして申し訳なさげに俺を見るお父さん。
驚いた事に、二人の関係を隠せていると思っていたのは俺達だけで、ご両親ともにとっくに気付いておられたらしいのだ。
「これでも親ですからね。息子が二十歳近くまで一度も女の子の名前も口に出した事もなく、男の友達しか居なかったら気が付きますよ。しかも三十手前で男性と同居するなんて聞けばわかるでしょう。」
それまでずっと黙って話を聞いておられたお父さんが、ふと箸を置いて俺の顔を見た。
「勘違いしてもらっては困るんだが、私はここ数年の弘樹の様子や、何度かお会いし話してみて知った野分君の人柄を見て、二人が一緒にいる事は良い事なんじゃないかと思えるようになったからこそ何もあえて言わなかったんだよ。これでも・・・人並みに息子には普通に結婚をしてもらって、孫の顔も見たいと思っていた事もあるが、今は夫婦の形も多様化していて、男女間であってもあえて籍を同じくしなかったり、子供を持たないという生き方もあるんだと聞く。それなら、弘樹が本当にいいと思っている相手と暮らすのが一番いい、そう思ったからね。」
「野分君、本当にヒロちゃんみたいな子で良かったの?」
「オイ、どういう意味だ!」
「俺にとって・・・・ヒロさんは、唯一無二の存在なんです。男とか女とか、そういう枠を越えて・・・人間として心から尊敬し大切に思っています。許してもらえるならば、一生共に生きていきたいと考えていて・・・・。」
本当ならば、こういうお願いにあがるなら、事前に挨拶の言葉を用意して、着るものも一番いいスーツをきちんと着て・・・・のつもりだった。
だけどもう間に合わない。挨拶を考えている暇も無い。
「お父さん、お母さん、息子さんを・・・弘樹さんを俺にくれとは申しません。彼がお二人の大切なお子さんなのだという事を奪うつもりも捻じ曲げるつもりもありません。そして・・・お父さんの言われる通り、俺ではお二人の為に可愛い孫を産んであげる事も出来ません・・・それでも、彼が大切なんです。どうか・・・生涯彼と一緒に生きていく事を許してもらえませんか。」
あまりにも舞い上がっていて、その後自分が何を口走ったのか、実はあまりもう覚えていない。とにかく気が付いた時には、ヒロさんは真っ赤になって隣でそっぽを向いてしまっていたし、お母さんはとても楽しげに笑っていて、お父さんは静かに笑って俺のグラスにビールを注いでくれた。
「・・・何をにやにやしてやがんだよ。」
小さなあられを次々と口に運びながら、ヒロさんが口を尖らせる。ちょっと拗ねてみせる時のヒロさんの可愛いクセだ。
「何でもありませんよ。お茶でも淹れて来ます。・・・それ美味しいですね。」
「・・・・うん。」
ヒロさんのおかげで、俺の人生はこのお菓子達みたいに色とりどりで、幸福なものに変わった。
甘い欠片も、ちょっぴりピリリと辛い欠片も、二人で居るそれだけできっと何よりのご馳走になるだろう。
とっておきの緑茶を戸棚から取り出しながら、俺はリビングの床にぺたりと座り込んだヒロさんの背中を、堪らなく愛おしい気持ちで見つめたのだった。
◇ おわり ◇
『 繊月 』 ~「新月」その後のお話~
今日は比較的早く帰って来れたし、この時間ならまだヒロさんも起きてくれているんじゃないかと淡い期待を抱いて自転車のペダルを踏み込む。夏場の自転車通勤は、日が高いうちは地獄の苦しみだが、日が暮れてから夜風に吹かれて自転車をこぐのは案外気持ちがいいものだ。
マンションについて、エレベーターが下に降りてくる時間ですら待ち遠しく思いながら、急いで部屋を目指す。
「ただいまです。」
玄関を開けてすぐにリビングの明かりが見えたから、声をかけたものの中から返事は返って来なかった。
ヒロさん、本でも読みながらソファでうたた寝でもしているんだろうか・・・それとも仕事でもお持ち帰りしていて集中するあまり聞こえないのかな・・・などと考えながらリビングのドアを開けると、ソファで膝を抱えたヒロさんが熱心に何か小さな紙片を覗き込んでいるのに気が付いた。
後ろから覗き込むのも失礼かな?と思ったので、先に気付いてもらえるようにと、少し大きめの声でもう一回「ただいまです」と近くで言ってみた。
「うわあああ!野分っ!・・・な、何だお前帰ってたのかよ。帰ったならそんな部屋入る前に何かその・・・・っ。」
ヒロさんは明らかに不自然な様子で、慌てて手に持っていたものをクッションの下に押し込んだ。
「・・・・玄関でも、ただいまって言いましたよ。でも返事が無かったから入ったんですが・・・・。」
「そうか!それは悪かったな!今日も一日労働ご苦労様で・・・・・。」
「ヒロさん、何か隠しました?」
クッションの上に不自然にもたれかかるヒロさんの様子に不審を抱きながらクッションをどけようと手を伸ばす。
「・・・ちょっ・・・野分てめぇ、勝手に何見ようとしてんだよ!」
「隠されると余計に見たくなります・・・。」
往生際悪くクッションの上に覆いかぶさるヒロさんの髪にチュッと口づけると、彼は小さく肩を竦めた。
「あ・・・っ・・・お前、くすぐるなんて卑怯・・・!や・・・っやめろって!触るの反則だからな・・・・・っ。」
反則って何ですか。可愛いなぁ。
脇をくすぐられたヒロさんが体を捩ったその隙に、ズボッとクッションの下に手を突っ込んだ俺は、何かの紙切れの様な物を掴んで引っ張り出した。
それは、ヒロさんが赤ちゃんを抱いた写真で・・・。
「・・・・ヒロさん、いつ隠し子を・・・・?」
「んな訳あるかっ!・・・そりゃ、お前だッ!!」
そう言われて改めて写真をよく見ると、スーツ姿のヒロさんが首から斜めがけしたスリングの中には、真っ黒な髪の赤ん坊の頭が覗いていて、はっと数か月前の事を思い出す。
もうあれから何か月か経つが俺は春頃、突然肉体が若返る・・・という奇病にかかった。結局診断を受けた訳でもないから、病気だったのかどうかすら今となっては分からない。
どんどん子供に還っていく俺を気丈に支え、赤ん坊の世話などした事もないのに、必死になって面倒を見てくれたヒロさん。この写真はおそらく昼間赤ん坊を家に置いていく訳にはいかない、と俺を連れて大学に通っていた頃のものじゃないだろうか。
「今日いきなり女子生徒からもらったんだよ・・・・。こっそり隠し撮りしてたんだと。最初は鬼の上條が子連れで来ているからって面白がって撮ったそうなんだが、改めて見ると結構いい写真だったんで、記念にあげますとか何とか言って押し付けられた・・・。」
写真の中のヒロさんは、ちょっと困ったような顔で、それでもしっかりとスリングの上から俺を抱きしめてくれていて、胸がきゅっと締め付けられた。
「俺・・・・覚えています。この時の事。」
「そんなもんは早く忘れろ。」
「色んな不安材料はあるはずなのに、ヒロさんに抱っこされていると、そういうもやもやした気持ちがみんなどこかに吹っ飛んでいっちゃうんです。ヒロさんが居てくれるから大丈夫・・・っていう安心感でいっぱいで・・・本当に幸せでした。」
写真を手にしたままソファのヒロさんの隣に腰を下ろすと、彼は少し赤い顔をしてぷいとあさっての方を向いてしまった。
「俺は・・・もうごめんだからな。・・・あんな大変なの。」
「・・・・はい・・・。」
写真とは反対に、今度は俺がヒロさんを背中からしっかりと抱きしめる。
トクトク・・・と背中から響いてくるヒロさんの鼓動の音。あの時もこの音に何度励まされ、支えてもらったか分からない。
ヒロさんが生きているという証。愛されていると教えてくれるぬくもり。絶対的な安心感を与えてくれる二つの腕(かいな)。
世界には俺とヒロさんの存在しか無くて・・・・。
「あんな・・・不安なのも・・・ごめんだ・・・・・。」
聞こえるか聞こえないかという小さな声で呟いたヒロさんをぎゅっと強く抱きしめて、全力で・・・自分の一生をかけてこの人を愛し守り続けようと心に誓う。
ヒロさんは俺の父であり、母であり、兄であり、師であり、愛してやまない大切な恋人だ。
「大丈夫です。ずっと俺が傍にいます。」
腕の中のヒロさんは黙ったままで、そっと俺の腕を抱き返してくれた。
◇ おわり ◇